で、今回も同じくカオスな内容を他人の言葉を借りて書いていきたいと思います。
20世紀と21世紀を比べた時、最も変化した部分を挙げろ、と言われたら、盾の人は真っ先に『情報』と答えます。誰も彼もが携帯電話という名の情報端末を持ち歩き、その気になればいつでもどこでも情報の送受信が行えます。そしてネットワークは肥大化し、仮想世界から実世界に対して影響を与えるようになります。
日本において、それを最も先鋭的に表した男がいました。
ホリエモンこと堀江貴文氏。
詐欺師とも錬金術師とも呼ばれた男です。
以下の文章において、斜体で書いたものは他サイトからの引用です。また、引用の際、かなり中略しています。つまり、盾の人フィルターがかかった状態です。原文へのリンクも貼っておきますので、気になる方はそちらを読む事をオススメします。
堀江さんのことを、詐欺師だの錬金術師だのといって悪者と決めつけている人がいるが、そういう人は自分は彼よりもずっと善良だと思っているのだろうか。もちろん、彼は詐欺師だし、悪だ。ただ、「彼と同じ能力をもち、彼と同じ環境におかれて、まったく詐欺的にも悪にもならないという人間はかなり少ない」ということは、ほとんどの人が想像すらできないだろう。
世の中のほとんどの人は、「価値あるサービスを消費者に提供できた企業が成功する」と思っているだろう。また、ベンチャーが成功するのは、「革新的なサービスを消費者に提供できたからだ」と思っているだろう。これは、完全に間違っているわけではないが、正しくもない。少なくとも、そういうナイーブ(世間知らず)な考えで起業すれば、ほぼ間違いなくスッカラカンになる。
現実には、「価値あるサービスを消費者に提供できた企業成功する」のではなく、「価値あるサービスを消費者に提供するビジネスを「独占」した企業が成功する」のだ。もっというと、「市場を独占支配することで、消費者から強制的にお金を徴収する構造をつくった企業」が成功する。
そして、恐ろしいことは、これは、一部のあくどい企業の話じゃなく、ほぼすべての企業がそうであるということだ。実際に彼らと仕事をしている人ならみな知っているが、オールドエコノミーの方々のビジネスのやり方の方が、むしろ醜悪なことも多い。
もちろん、基本的には、善良でないと、ビジネスはうまくいかない。しかし、善良にやると、やはり上手くいかないのだ。ビジネスをやっていると、いつもその矛盾に悩み続ける。なぜ、善良でないとビジネスが上手くいかないかというと、あくどいことするヤツだと思われると、取引相手が警戒して、腹の探り合いばかりになり、交渉にコストがかかりすぎるからだ。いつ裏切るか分からないやつとビジネスしたい人なんてまずいない。いつ警察に捕まるか分からないやつと関わり合いになりたい経営者なんて、まずいない。だから、どの経営者も、それはそれは真剣に法令を遵守しようとするし、経営会議では、いつも、「それは仁義に反する。」「それはビジネスモラルに反する」という台詞が頻繁に出される。むしろ、一般人の何倍も、法律にも道徳にも気を使う。それは、ヒルズのITベンチャーだけでなく、オールドエコノミーでもどこでも同じだ。
一方で、いくらすばらしいアイデアを出そうが、革新的なサービスを開発しようが、それはすぐにまねされ、コピーされてしまうという現実がある。他社にまねできないような革新的なサービスを開発すればいい、というのはきれいごとだ。人々にとって価値あるサービスは、たいていはマネできる。他社にマネできない技術やノウハウというが、実際には、そんなものはめったにない。あったとしても、それは宝くじ的なものであり、宝くじにあたることを前提としてビジネスモデルを組み立てるほど愚かなことはない。
それだけでない。後発の、より資金力や集客力のある企業が、同じサービスをはじめれば、資金力のないベンチャーなんて、あっと言う間に破れ去る。
頭の切れる人間が、こういう状況に放り込まれたら、どう行動するかは、自明だ。ここで第一にやるべきなのは、インチキプレスリリースをうちまくって、とにかく時価総額を膨らます事だ。資本がないと、なにも始まらない。
つまり、マジメにいい商品、いいサービスを、開発する、という、世の中への貢献行動は、マイナスの条件付けをされる。そして、インチキのプレスリリースをうつ、という詐欺的行為は、プラスの条件付けをされる。まるでこの業界全体の構造自体がが、善良な人間を悪の手先に変える、サタンの洗脳機械のようなものなのである。
時価総額の膨れ上がったIT企業が、なぜ企業買収をするかといえば、それが利益確定行為だからだ。一時的にイメージだけで膨れ上がった時価総額に、実体はない。いつ消えても不思議のない、不安定なガス状のものだ。それのガス状のものを、証券会社だの旅行ポータルサイトだの、実質的な価値を持つものへ、交換する事で、個体にし、片端から、実体化、固定化し、時価総額をほんとの価値として固定化しようとしているのだ。それは、まさにウソからでたマコト戦略とでもいうものだ。最初はインチキによって膨れ上がるが、やがてそれが、株価に見あった実体を持つようになれば、それはあながち詐欺とも言えなくなっちゃうんじゃないか、という気もする。
こうしてみると、堀江さんはたしかに詐欺師かもしれないが、もともと悪人である堀江さんが、ウソにウソを塗り固めて、個人投資家からお金を巻き上げてきたにすぎない、という見方が、とても表層的なものの見方のように思えてくる。
もちろん、だから堀江さんも被害者なのだと主張するつもりは毛頭ない。たとえ、環境がその人間を悪にしたのだとしても、悪事をした責任は、その人間自身がとらなければならない。たとえ、ほんとうに親の教育が悪いせいで少年が犯罪を起こしたとしても、その少年がその犯罪の責任をとらなくてよいということにはならない。
ただ、堀江さんの向こう側にある、本当の黒幕について、もう少しだけ立ち止まって考えてほしいと思うのだ。
「ホリエモン以上に詐欺的なベンチャーの内情」より
さて、ここで言う「本当の黒幕」とは何者でしょう?
読んだ人には分かるでしょう。市場を独占し、善良な顔を装いながら資金に物を言わせて新規参入を阻み、成果を盗み取り、出る杭を叩き潰す手合いです。
堀江貴文氏はとにかく「判断力とスピード」が優れていたことは前述した通りだ。
彼はWebの発展を見越して、多大なトラフィックにも対処できるよう早い時期からデータセンターを展開していた。
テレビ業界など動画の利権でボロ儲けしている企業にメスを入れるため、テレビ局の買収にも動いた。
テレビ局は買収できなかったが、今現在テレビ局側は新たな収益源を見出すことができず、YouTubeにも対抗できない状況だ。
この状況を見るだけでも、彼のずば抜けた先見性がわかるはずだ。
彼がライブドア社長を続けていたら、今頃はジャスラックと全面対決するために、音楽会社の買収に動いていたかもしれない。
堀江貴文逮捕により、Web業界の発展・競争までもがなくなってしまった。
これこそが本当の損失なのではないだろうか。
「堀江貴文逮捕による本当の損失」より
自由経済というのは競争をさせることによって、利己的行為≒利他的行為となるため、反社会的行為で無い限り、欲望に忠実な行動を堂々と行うことができると言うモンスターエンジンです。近代文明の急速な発展はこれを抜きには語れません。しかし、自由な競争によって一度手にした権益を守ろうと思ったら、逆にその自由を奪わなければなりません。また、極限まで競争を行うと人々は疲弊し、逆に発展を阻害してしまうという問題も有ります。
そうして、自由に競争をしている振りをしながら、ある程度の業界限定ルールが生まれてきます。これによってお互いに疲弊しない程度の基準を作っておき、互いの利権を守るわけです。これは変化の少ない時代には有効な共存手段ですね。
しかし、時代は21世紀。言語、文字、印刷、放送と続いてきた情報革命に、新たにwebという革命が巻き起こっている最中です。情報の爆発は新たな市場を生み、旧来の業界では利権を守るためにその新市場を生かす事が出来ませんでした。
また、利権の独占によって生まれた不満と怨念はwebによって個人という「点」から放射状に発信され「線」となり、リンクされ、絡み合って「面」となります。しかし、webは所詮情報にすぎず、情報そのものはエネルギーを持ち得ません。情報をエネルギーに変えるには、実在する生身の人間による行動が必要なのです。そんな中、実際にwebの世界から実世界の利権団体に対して真っ向から挑戦したのがホリエモンでした。
ではホリエモンはいじめられっ子であるweb世代の救いの神だったのでしょうか?
ホリエモンが世の中をよくしてくれるってのは、イメージだけで、実体はない。実際には、ホリエモンが成功すれば、ホリエモンが別の既得権になって、腐敗するだけだ。そんなもん応援してもたいして意味ないって。
ホリエモンがやろうとしていることは、オジサン世代がいままでやってきたことと変わらない。居すわっているボスザルを追い出して、自分がボスザルになることだ。日枝会長だって、むかしは、ホリエモンと同じことやって、フジテレビをのっとったんだし。
ホリエモンがカッコイイところは、既得権益を牛耳っているやつと正面から戦うところだ。だけど、それって、たんなる権力闘争でしかないんだよね。若いサルが老いたボスザルに挑戦しているだけだ。
だから、そういうたんなる権益争い以外の理由でホリエモンを応援する人たちは、彼がより世の中をよくしてくれると勘違いしている。
じゃあ、いまの人たちにとって、よい世の中ってなんだ?
それは、みんなが、自分らしく(個性)、自分の好きなように(自由)、自分独特のやりかたで(独創性)生きられる世の中ってことでしょ。
でも、そんなの幻想なんですよ。そんなの「原理的」にありえない。そんな考えでは、組織が回っていかない。だって、組織と個性・自由・創造性って両立しないもん。個人の個性・自由・創造性がのびのびと広がれる会社ですって台詞は、会社のパンフレットに書かれている営業トークだよ。そんなの信じちゃだめだって。
そして、組織が個人の個性・自由・創造性を押しつぶすのは、オジサン世代が、そういう組織にしてしまったからではないんだ。原理的に、組織は、個人の個性・自由・創造性をおしつぶすことでしか、効率を上げられない。強い組織になれない。そして、これは、ホリエモンのライブドアでもGoogleでも同じことなんだ。
企業のような営利組織の場合、自由市場においては、ほんとうに強い企業、すなわち、選択と集中をしている企業しかどんどん生き残れなくなってきている。そして、選択と集中というものは、そこで働く人間に、自由で、個性的で、創造的な働き方を許さない。
だから、そういう強い企業が求める「有能な社員」とは、個性的で、創造的で、自由な発想のできる社員じゃない。まずなにより、その企業の宗教に絶対的に帰依する社員だ。その宗教を心から信じている敬虔な信者である。どんなに仕事ができても、金儲けがうまくても、独自の個性をもち、宗教の枠からはみ出るような邪教徒などいらない。
選択と集中の基本は、お金以外の価値基準で、やることとやらないことを、価値あることと価値のないことを決めるということである。すなわち、どんなに儲かるプロジェクトでも、どんなに大ヒットしそうな企画でも、それが、その企業の価値観に合わない限り、ぜったいにやらないことだ。それが、選択と集中ということだ。そして、この「お金以外の価値基準」というのがやっかいなのだ。その価値基準というのは、基本的には、絶対的な根拠はない。宗教と同じで、信じるか、去るかしかない。そして、小さな会社の場合、たいていは、社長もしくは、一部の経営幹部の価値基準によって、すべての価値が独善的に決めつけられる。なぜ、この企画はよくて、この企画はだめなのか? それは、それは教祖様の創り出した価値基準に照らして判断される。オウム真理教のように、自分の恋人を教祖様に差し出す必要はないが、少なくとも、会社では自分の個性や独創性は、会社の価値観の枠に納めるようにしなければならない。
ここで、もっとも重要なのは、この、選択と集中による、個性・自由・独創性の抑圧は、ほんとうに避けられないものなのかどうか、ということだ。もしかしたら、オジサン・オバサンたちが思いついていないだけで、個性・自由・独創性と、組織の効率性を両立させるような、そういう理想の組織を作れるのではないだろうか? そういう未来の理想組織の可能性はないのだろうか?
これは、自由というものの性質をよく考えてみれば、簡単に結論が出る。基本的に、自由は不自由によって作られる。たとえば、信号機がいい例だ。信号機とは、不自由そのものだ。それは、ほんらい、いつでも、どちらの方向にも自由に走れる車から、自由を奪い、ある特定のタイミングで、特定の方向にしか走れないように制約する。しかし、その信号機という不自由によって、自動車は行きたい所に自由にいける。もし、信号機がなかったら、道路は大混乱に陥り、交通は麻痺して、行きたい所にいく自由は失われる。まさに、不自由によって自由が生み出されている。
オジサン・オバサンたちは、お互いに、複雑に絡み合った無数の不自由の束で縛り合うことで、この社会を創り上げ、動かしている。新世代君たちが、オッサン・オバハンたちの編み上げた不自由の束が気に入らず、おまえらの価値観を押しつけるな、オレの個性を侵害するな、というなら、自分たちが気に入るように不自由の束を編み上げなければならない。
この社会で、なにごとかをなそうとすれば、不自由の束を編み上げなければならない。それは、お互いの自由、個性、創造性を侵害しあい、その侵害を、お互いに受け入れるということだ。
こうしてみると、「個性!自由!創造性!」というのを、そのままの意味で、すべて尊重した理想世界というのは、そもそも「原理的」な矛盾をかかえていて存在不可能だ。それをそのまま主張したのでは、たんなる駄々っ子だ。だから、そんなものはさっさと捨ててしまい、お互いをお互いの不自由の束で縛り合い、もっとオッサン・オバハンたちと、対等に渡り合えるほどリアルな構造を創り上げることを考える方が、はるかに現実的だと思うのだ。
ライブドアを悪だ虚業だと全面否定してしまうオッサン・オバハンたちに対抗するには、そのぐらいの覚悟としぶとさが必要だと思うのだ。
「ホリエモン後の世界がかかえる深刻な矛盾」より
はい、長かったですね。でも原文はもっと長いんですよ。ネットのリテラシーに関心のある人は、もっとしっかり情報を検証してくださいね。ひょっとしたら妄想オチがついてるかもしれませんよ?
結局、webによる革命も、新しい市場、新しい開拓地を生み出しますが、自由と束縛と言う面で見れば、これまでと構造的に変わるところは無いわけです。
旧世代の利権やら束縛に対して、ただただ不満を言ったり、漠然とした希望を語るだけでは、地に足が着いていない子供の我侭でしかないのです。だから、何百年たっても年配の人達は決まって同じ事を言います。
「最近の若い奴等は……」
もちろん、『最近の若い奴ら』も似たり寄ったりです。
「これだから古い奴等は……」
如何に時代が変わろうと、人間の方はさほど変わりが無いって事ですね。盾の人が小学生の頃、その事に気がついた時には悲しい切ない気持ちになりました。
「あー結局、人は分かり合えないのか」と。
そして、気がつきました。だから「ガラクタノカミサマ」と一緒に、このへんの思考がグチャグチャ巡ってたんだな、と。
もう5,6年前になるでしょうか。ある人に言われました。
「何かを変えたいと言うならば、予想されるリスクに対する説得力ある根拠を示して、尚且つ、共感できるビジョンを示せ」
「現行のルールで勝てない奴が、どんな正論を言っても負け犬の遠吠えだ」
まあ正確な言葉はまるで覚えていませんが、こんなような意味でした。
もっともな話だ。と、思いました。
だから今でもそれを覚えているし、それを実践しています。
バドガールみたいなお姉ちゃん達が踊りながらカクテルを作ってくれるような店で聞いたこの話には、一年後、「牙突」という形で答えを返しました。
……さて。
昔、槍が最強だったのも、剣が柔らかい故に槍の突きを弾けない利点があった為で、
剣道経験者の言い訳は大概そこを嘆く。
「道具が柔らかいから…」とか「硬ければ弾けるのに」とかなんとか。
で、今は?
「柔らかい不自由な道具」の中で「自由な発想」で結果を出せば文句ないでしょ?
まぁ、言い訳する物に明日は無いです。
…って事?
読んだ方々がそれぞれに何かを感じてもらえれば、と思っています。
デンパゆんゆんwwwやり逃げ最高!wwwうぇw
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杖以外は一通り扱える
マルチプレイヤーモドキ
使う得物ごとに
動きを変えるのが信条
2001年 世界大会
短刀の部 優勝
2003年 全日本大会
グランドチャンピオン
2004年 世界大会
楯小太刀の部 優勝
2005年 世界大会
楯小太刀の部 優勝
2006年
国際スポチャン協会
日本スポチャン協会
優秀指導者賞
10位 受賞